知れば知るほど深〜い魅力。。。 〜ウイリアム・アダムス=三浦按針〜

2009年10月30日

008_01.jpg 伊東の夏の最大イベントである按針祭が三浦按針の功績をたたえる祭りである事は伊東市民ならこどもの頃からなぜか誰もが知っている。
「ウイリアム・アダムス=三浦按針」は方程式のように頭にたたきこまれているのである。
ただそれが「いつ、どこで知ったのか?」といわれると記憶はあいまい。
小学校の社会科見学で市内にある按針記念碑やウイリアム・アダムス胸像を前に先生に習ったのだろうか?
それにしても世界の偉人はあやふやな私でも「ウイリアム・アダムスが、伊東市の松川河口で、我が国初の洋式帆船を建造した人」とはっきり覚えているのはとっても不思議である。

●なぜ、「三浦按針」なの?
 なぜ日本名が「三浦按針」なのか?「三浦」は三浦半島?と想像できるけど「按針」ってなに?と私は子どもの頃から、???だった。しかしその答えは元 伊東観光協会の名物専務理事の牧野正氏の著「青い目のサムライ」に発見!(早く読めばよかったのにね)
みなさん、「按針」って何だと思いますか?答えは→→→ 按針とは「パイロット(水先案内)」の意味!昔は「安子」又は「安仁」と書いていたそう。三浦に住むパイロットだから、「三浦按針」。なるほど!疑問が、解けてとてもすっきりした。(って私だけ?)

●なぜ、ウイリアム・アダムスが青い目のサムライと言われるのか?
 同じく牧野正さんの著「青い目のサムライ」によると、1605年(慶長10年)に家康から相州三浦逸見(今の横須賀市)に農民90人が住む土地250石を与えられ、二本の刀と脇差を下賜され、正真正銘のサムライとなったとある。外人さんが、土地を与えられ、帯刀を許されていたなんて、とてもびっくり。いかに家康にかわいがられていたのかがわかる。

008_02.jpg●家康とアダムスとの出会い
 アダムスと家康の出会いは、1600年(慶長5年)。現在の大分県臼杵市沖にアダムスの乗ったオランダ貿易船リーフデ号が漂着。大阪城の徳川家康から出頭を命じられ、取調べをうける。家康は英国人について様々なことを物珍しげにきいたという。その後、天下統一した家康はアダムスから、地理学、数学を学び、幕臣達には天文学、造船、砲術などを学ばせたという。そして慶長9年に家康は洋式帆船の建造を命じる。ここでいよいよ、「伊東」の登場。

●なぜ、伊東だったのか?
 ところで、なぜ帆船は伊東で作られたのだろうか?伊東は古くから、漁業がさかんで造船の地であったこと、川が海に注いでいること、船材は天城山系の自然林があり、事欠かないこと、船大工がたくさんいること、なにより、江戸と駿府に近いことと好条件がそろっていたのである。地元の伊東氏の協力の下、1604年(慶長9年)に日本初の洋式帆船80トンを建造、1605年(慶長10年)には外洋航海のできる洋式帆船120トンを建造する。
天然記念物に指定されている葛見神社の樹齢千年以上の大楠があるが、当時は伊東のいたるところに楠木の大木があったらしい。

●伊東で建造した洋式帆船、太平洋横断した最初の日本の船となる
 1610年(慶長15年)8月1日、伊東で建造した洋式帆船サン・ヴェナ・ヴンツーラが浦賀を出航。10月27日にはカリフォルニアのマタンチェル港、月末にはアカプルコに到着。無事に太平洋を横断し、スペイン国王に親書と贈り物を届けることができたそう。伊東のみならず、伊豆の船大工の腕の良さの証明でもある。400年前の伊豆人は、すごい!

●「按針祭」って昔は「安針祭」でした
 今では「按針祭」となっているが、平成7年の第49回までは「安針祭」になっている。これは、伊東が温泉観光地であるので、「按」イコール「按摩」さん。あんまさんの針の祭りだと、誤解されては困るということで「安針祭」になったという。平成8年の第50回から今の「按針祭」となった。

008_03.jpg●牧野専務理事の花火大会アナウンスがなつかしい
 元 伊東観光協会専務理事だった牧野 正さん。安針祭の海の花火大会のアナウンスを担当されていて、その名物アナウンスぶりは、有名で私も子どもの頃からとても楽しみだった。観光客の方も、初めての方は「えっ?」みたいな反応。でも徐々に「牧野節」にはまっていって・・・。アナウンスに「爆笑」、花火には「感嘆」。すっかりやみつきになっていった。現在は女性のよどみないアナウンスで、スムーズな進行だが、もう一度「牧野節」をききたいと思っているのは、私だけではないはず・・・。
「昭和」の名物専務理事だった牧野さん。今度は「平成」の名物○○さんの登場に期待したい!

●まだまだある「按針祭裏ネタ」
 第1回安針祭は8月15日に開催され、その後7月に行われることもあったが、第6回大会より今の「8月10日」に定着した。
 昔は「ダンスパーティー」や「砂浜造形大会」「駕籠かきレース」「水上野球大会」「水上パン食い競争」等、開催されていたそうだ。とても楽しそう。みんなが参加できる催しがあるといい。

●昔の新聞をみたら・・・
昭和45年8月11日付けの伊豆新聞 「潮の響」より
 『浴衣姿の観光客の老夫婦をつかまえて、英国水兵が盛んに写真を撮っていた。安針祭式典の見物人の中で見かけた光景だ。松原海岸で泳いでいた海水浴客も、会場のまわりに集まっていた。街頭のにぎやかなパレード、夜の盛大な花火大会、安針祭は伊東の財産になったなあ、という気持ちを新たにした。
 伊東出身の楠山定朝日新聞記者のニューヨーク便りが、先日、本紙に掲載されていたが、その中で、本屋でみた観光ガイドのことが出ていた。熱海のことはくわしく書いてあったが、伊東については「この町が有名なのは、ミウラアンジンが最初の洋式帆船をジャパンで作ったところ」と三十行程度で案内してあっただけという。
 外国でもし伊東のことが書かれるとすれば、三浦安針がまず紹介されるかも知れない。これからどんどん国際化が進行するだろうから「安針祭」は大事にしなければならないと思う。おもしろいのは日本で安針祭をやっているのは、伊東を含め三ケ所あることだ。アダムスが領地を与えられた横須賀市と、漂着地の大分県臼杵市でやっているということだが、横須賀市では昨年、市長がアダムスの生れ故郷、英国ギリンガム市を訪ねたりしている。
 他の二市とくらべて伊東の安針祭は遜色はないと思うが、よそでもやっているなら、伊東の祭りはもっとユニークなものにしなくてはならない。市長のきのうの挨拶にもあったように、造船色をもっと取入れて「海の男の祭り」の色彩を濃くしたいものだ。世界の国際化は進む。今後、安針祭の果す役割りも比例して大きくなっていくだろう。』

008_04.jpg●平成15年5月5日付けの伊豆新聞 「セピアのふるさと」
 『昭和28年ごろ、按針祭「広告パレード」。修善寺街道を商売のPRをしながら練り歩いた。上位入賞には賞金が出るだけに、仮装にも力がこもった。
 先頭のコケシにマルコーにご主人・故川島安平さんが入り、後ろには猪戸にあった温泉プールの「温泉の女神」が続く。
 審査員も浪曲の寿々木米若、書家の内山雨海ら豪華な顔ぶれ。参加者から補助金要望が出て、資金難から6年間で終わった。』

●松川河口を散策すると
 松川河口のアダムスメモリアルパークには、サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号帆船モニュメント、アダムス胸像がある。そこから、松川の左岸をさかのぼってみよう。河畔からは東海館をのぞむこともでき、温泉街の情緒を楽しめる。7月第1日曜日に行われる「松川タライ乗り競争」は大変ユーモラスな競技。イタリアのリエティ市でもワイン樽を半分に切ったようなタライでレースが行われているため、民間交流が生まれ、その後1985年7月より友好都市となった。

008_05.jpg◆サン・ヴェナ・ベンツーラ号
製作者 重岡建治(伊東市在住)素材:ブロンズ製 重量:3トン 高さ:3.6m 巾:3.3m
◆三浦按針胸像
製作者 重岡建治(伊東市在住)素材:ブロンズ像 重量:500㎏

008_06.jpg●伊東市役所庁舎でさがしてみよう「按針あれこれ」
 伊東市役所庁舎は「帆船」をイメージして設計されている。庁舎内にも「按針あれこれ」があるので、散策してみよう。

008_07.jpg008_08.jpg008_09.jpg008_10.jpg●今回の取材でお世話になった伊東市観光課の出口さん
各イベントの準備から、当日、片付けまで八面六臂の大活躍。観光地伊東の観光課職員は大変、忙しい。そんな忙しい身でありながら、いやな顔もせずに、いろいろ調べてくれました。出口さんに感謝!感謝!さわやかな笑顔が印象的です!

●取材を終えて
伊東市内には、「按針」ファンが多い。今回、取材してみてその魅力の一端にふれた気がする。あれもこれも・・・と思い、まだまだ紹介したいことがたくさんある。ひまをみて、おっかけ調査を続けたい。


[関連リンク]按針祭 花火大会

〈メディア室・みぃ〉

DATE
公開日:2009年10月30日
カテゴリ:レジャー・観光
著者:みぃ
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