伊東の秋を鮮やかに彩る一番手「伊東大田楽」

2009年09月04日

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 平安・鎌倉・室町時代と、中世の日本で貴族から一般庶民までを熱狂させた芸能「田楽」。田仕事のための即興的な労働歌や踊りから発生し、田植えや農耕儀礼などの際に行われた神事へと発達した民間芸能は、五穀豊穣を願い、笛や太鼓を鳴らし、あぜ道で舞い、行進したのが始まりとされています。鎌倉時代末期から室町時代前期にかけて日本各地で大流行し、公家や武士、庶民の別なく愛好されました。
また、美麗な飾りを身に着け、囃子や歌謡に合わせて舞う「田楽法師」というプロ集団も現れ、座を結成して全国を渡り歩き興行。寺社の再興や修理を名目にした勧進田楽も盛んに行われました。
 ところが、室町中期には世阿弥による猿楽能の完成によって、田楽は忽然と姿を消したのです。(野村万之丞氏 楽劇仮面ホームページ参照)
 中世日本で爆発的に流行し、やがて衰退した謎の芸能「田楽」を、総合芸術家・故野村万之丞氏がわずかな資料・文献を元に復元し、ワルツやサンバなど西洋のリズムを取り入れる等、数々の新しい試みにより、単なる古典の再現にとどまらない、壮大でダイナミックな野外劇「大田楽」を平成の世に作り上げました。

主催する「伊東湯めまつり実行委員会」と大田楽の出会いは、平成10年3月長野パラリンピック。大田楽で構成された盛大な閉会式が、市民参加で作り上げられていたことに感銘を受け、伊東市観光課は、伊東活性化へ向け、市民参加イベント開催を決意します。平成10年2月伊東市ふれあいセンターにて「狂言・装束展」を開催したこと、野村家が伊豆高原・大竹窯へ陶芸を楽しみに通っていたことも縁で、大田楽を伊東で開催することとなったのです。

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 平成10年10月18日、第1回伊東大田楽は市民参加者123名、伊東駅前いちょう通りを練り歩きました。第2回から会場を伊東オレンヂビーチなぎさ公園に移し、花火を打ち上げたいと初めは参加者が協賛金集めに奔走したことも。
市民で作り上げてきたお祭りは12回を迎え、女優・松坂慶子さんやプロ演者、スタッフ含め約160名が参加する一大イベントに成長しました。
装束のメンテナンス、衣装の着付け、稚児が宴中に撒く飴も「宝」のように見立て、皆で作りあげます。下は4歳から還暦を超えた方まで、真夏の暑さ厳しい体育館で、約15回の合同練習を繰り返し、本番に臨むのです。
体育館に響き渡る子供たちの無邪気な声が、指導者の一声で真剣な表情へと変わります。「足を運んで観に来てくださる方に、恥ずかしくないように」と激が飛び、何度も何度も繰り返し練習。太鼓、笛、鐘の音と共に、本番さながらの全体練習は鳥肌が立つほど。
「本番では、色とりどりの衣装に身を包み、お客様へ披露する緊張感と喜びがあります。」実行委員会・杉本さんが語ってくれました。公演終了後の達成感に魅了され、毎年参加してくれる方も増えているそう。「回を重ね、1回目は小学生だった子が、大人になってまた参加してくれたり、欠かさず観に来てくれるのは本当に嬉しいですね」。

椿女<松坂慶子さん>が、五色華やかな装束をまとった田楽法師<市民演者約140名>を導き、音楽、舞踏、アクロバットなど躍動感にあふれた乱舞を披露します。太鼓のリズムに大きな花傘が舞い、稚児が華を撒き、「豆ぞうクラブ」による一輪車パフォーマンス。今年初の高校生による獅子舞、踊り手全員手作りの市花「椿」の手飾り、伊東オリジナル<みかんの花咲く丘>を田楽笛にて劇中演奏。クライマックスには、相模湾をバックに舞台の上から花火も打ちあがり、華麗にステージを彩ります。
「子供たちが学校で作文に書いてくれたり、思い出として語りあってくれたりすることが嬉しい。市民で作りあげた魅力あるイベントです。今年もみなさんの心に残るよう演じたいですね。」

 伊東の秋まつり一番手を飾る伝統芸能「伊東大田楽」。伊東温泉の歴史・文化・郷土芸能などを取り入れた、圧巻の一大イベント。秋のはじまりを告げる祝祭へ是非一度。

[関連リンク]伊東大田楽

<メディア室・たかぴー>

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★練習風景のギャラリーはこちら


DATE
公開日:2009年09月04日
カテゴリ:イベント
著者:たかぴー
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