やはり銀塩フィルム・カラーフィルム編
今日のテーマはカラーフィルムについてですが、上野さん カラーフィルムに関する想い出を御願いします。
フジカラーN64フィルムとフジカドライブカメラ(1964年)
フジカラーN100フィルム(1971年)
アグファ・ネガカラーフィルム
上野)私が最初にカラーフィルムを使ったのは、昭和37,38年位だったように思います。とにかく当時は値段が高かった、モノクロフィルムの倍以上だったように思います。
ネガカラ―フィルムが一本600円ぐらい、現像が350円、焼付は名刺サイズで一枚35円ぐらいしたと思います。むやみにカラーを撮るわけにはいきませんでした。
東京オリンピックの開催が1964年ですが、富士フィルムはそれを記念してASA感度64のフィルムを発売しました。それまでは、ASA感度50でしたので若干使い勝手は良くなったのですが値段が高くて、そうは買えなかった記憶があります。
初めのころは、カラーフィルムはフィルム代に現像料金が含まれておりました。カラーを撮る人が相当限られていたのでしょうね。
ネガカラ―はその内に感度がASA100に上がり、200,400とモノクロフィルム並みになりました。カラーの現像処理が出来るDPE店が増えて、いつしかプリント料金もモノクロ以下となり、そうなるとモノクロフィルムは衰退していきました。
私の場合、撮影はネガカラ―が圧倒的に多かったのですが、当時のカラーフィルムはメーカーによってかなりの特徴がありました。コニカはブルー系の発色が良かったし、アグファは茶系、富士フィルムはオールマイティでした。ですから、夏はコニカ、秋はアグファを良く使いましたね。
当時のカメラ店にはほとんどのメーカーのフィルムがあったのですが、そのうちに富士フィルム製品が圧倒的に多くなり、好きだったアグファはすぐに見かけなくなりました。
サクラカラーフィルム(ネガカラー・1980年代)
コダック各種サイズのネガカラーフィルム(コダカラーゴールド・1990年代)
フェラニア(イタリア)ソラリス・ネガカラーフィルム(2000年代)
尾崎)私が写真屋でアルバイトしていた1966年頃は、コニカフィルムの販売マージンが若干多く、お客さんがメーカーを指定しない場合はコニカフィルムを出してました。でもすぐに販売力の強い富士フィルムが価格・販売体制で巻き返して逆転、コダックも営業力が全国に及ばず大都市中心の展開になりましたね。
私の友達で富士フィルムと競合する工業機械製品を開発していて、富士フィルムは絶対に使わない主義の人がおりました。ある時に伊豆へ家族旅行にきて持参したコダックフィルムを全部使いきり土産店で探したのですがコダックフィルムを置いてない、そこで写真屋さんを探したのですが「伊豆ではコダックは置いて無い」と言われて、それ以降の撮影を止めてしまったエピソードがあります。家族は「富士でもいいのでは」と言ったそうですが聞く耳持たずで家族旅行後半の記録は空白になったとの事です。
すごい人ですね! 今でもコダックフィルムは伊豆半島では売ってないのですか?
尾崎)さあ、伊東の写真屋さんをのぞいて見てください。ところで上野さんは、リバーサルフィルムは余り撮られなかったのですか。
上野)リバーサルフィルムでは苦い思い出があります。
高校時代にハイキング部のようなクラブに入っていたのですが、その記念写真をスライド上映するためにリバーサルフィルムで撮影する事になり教師から確か「コダック エクタクローム50」を渡されました。
私自慢のヤシカ35に装填して出掛けたのですがヤシカ35には露出計が無く、小型の露出計は持参したのですが現像が上がってみたら全て露出オーバー、大失敗に終わりました。
リバーサルカラーフィルムの露光許容度の狭さを思い知ると共に、EE機構付きのカメラが欲しくなった事をよく覚えています。
リバーサルフィルムは、現在も富士フィルムが頑張っているので心強い限りですね。現在市販されているフィルムも種類が多く選択に戸惑う程です。
どの様に使い分けているのですか。
フジフィルム・リバーサルカラーフィルムベルビア100とプロビア400X
上野)たとえば富士フィルムの製品は、ナチュラルカラー・高彩度再現の「プロビア100F,400F」、イメージカラー・超高彩度の「ベルビア100,50」、リアルカラー・超高彩度の「ベルビア100F」、標準仕様の「センシア100」「アスティア100F」等々です。
私自身は、風景写真は「ベルビア100」一般写真は使いやすい「プロビア100F」動きのあるスポーツ等は増感の出来る「プロビア400F」を便利に使い分けてます。
リバーサルフィルムはネガカラ―と異なり各フィルムの特性がはっきりしており、フィルム選択の段階から撮影の楽しさを味わっています。
デジタルカメラの時代ですが逆に「リバーサルの見直し」の動きがあるのは画一化されない写真を撮りたいという欲求がみんなのどこかにあるのではと感じてます。
尾崎さん、リバーサルフィルムについて何かお話してください。
コダック・コダクロームフィルム
コダック・コダクロームフィルム
石川英輔さんの時代小説
尾崎)いやはや上野さんの知見に素晴らしいですね。私の出番はありません。
私のリバーサルに関する想い出話としては、日本光学さんと一緒に1970年頃に35mmのリバーサルフィルムが印刷原稿に使えないかと試行錯誤した事があります。
当時の印刷技術はデジタル化の兆しはいくらかありましたがアナログ製版が主体で印刷原稿はサイズの大きいカラーが有利とされ4×5インチの「シノゴ」判が標準とされてました。
拡大サイズが低い場合は、ブローニー・6×6判も使用しましたが、35mmは不適とされておりました。35mm一眼レフを主体とした製品ラインナップの日本光学としては何としても主力のニコンFで撮影した写真を印刷用に使いたくてコダックの「コダクローム」と5~8Kwという強力キセノン光源を使用する当時最新のダイレクト製版方式の組み合わせでこれに挑戦、確か1971年の同社のカレンダーをすべて35mm原稿で制作した記憶があります。
これ以降、コダクローム35mmフィルムが印刷用原稿として認知されるようになりました。
この製版方式に使用する製版用フィルムは、最初コダックフィルムを使いましたがすぐに富士フィルムがコダックを凌駕するフィルムを製品化して国内シェアを逆転しました。
この当時の富士フィルムの営業課長が現在の古森社長さんで全国を一緒に販促訪問した思い出があります。
更に、この製版方式を国内で最初に開発した印刷会社の技術役員・石川英輔さんが、この後もちまえの文才を生かされて時代小説主体の小説家になられた事も驚きでした。
コダックのコダクロームは、唯一の外式カラーフィルムとして40年以上も販売されましたが、残念ながら昨年春販売終了、昨年末で国内現像も終わり米国内の展開も今春で終焉となりました。コダクロームは、私のメインフィルムでしたので大変困りました。
外式カラーフィルムって何ですか。初めて聴きましたが。
尾崎)少し専門的になりますが、カラーフィルムを発色させるにはシアン、マゼンタ、イエローの3原色の発色剤・カップラーという薬品が必要になります。この発色剤がカップリングと言う有機化学では代表的な化学反応をおこして発色する訳です。
このカップラーをフィルムの乳剤中に添加しておく方式が内式カラーフィルム、現像液にカップラーを添加する方式が外式といい、外式の場合は、シアン・マゼンタ・イエローと三種類の現像液で3回現像する必要があります。使い勝手の面では、現像が一回で済む内式方式が便利ですが未発色のカップラーが乳剤中に残り変色の原因となったり、乳剤中にカップラーを混入する事によって色の滲みが発生し易くシャープネス面で外式に比べて低くなる弱点があります。
世界初のカラーフィルムも実は、このコダクロームで1935年のことです。翌年の1936年にはアグファが世界で初めて内式のカラーフィルムを製品化しました。これもリバーサルフィルムですが。
私が使っているネガカラ―は、いつ頃から出来たのですか。
フジフィルム初のカラーフィルム「富士カラー」1948年 ASA感度10、外式カラーフィルム
上野)国内メーカーのカラー対応は、これも小西六写真・コニカが先行しました。1941年に国産初の「さくら天然色フィルム」を発売しています。もっともカラーリバーサルフィルムですが。富士フィルムのカラーリバーサルフィルムの発売は1948年です。
ネガカラ―フィルムは、コダックが1942年に「コダカラーフィルム」を発売しました。
国内ではなんと、1953年にオリエンタル写真工業が発売した「オリエンタルカラーフィルム」が最初です。「フジカラーネガフィルム」の発売は1958年で、富士フィルムは少し遅れましたが1976年には世界初の高感度ネガカラ―フィルム(ASA400)「フジカラーFⅡ400」を発売して使い勝手を一挙に向上しました。
更に、富士フィルムは1986年に画期的なアイディア製品・レンズ付きフィルム「写ルンです」を発売、コダック、コニカ、アグファ等の各社がこれを追随してネガカラ―フィルムの市場を飛躍的に拡大、更に写真を身近にした一大功績を残しましたね。「写ルンです」がなければ携帯電話のカメラ搭載の発想も無かったのではないでしょうか。
フジフィルム・プロビア400X
フジフィルムGF670
フジフィルム・コダックの110フィルム群
コダクロームが無くなって尾崎さんはどうされたのですか。
尾崎)国内現像が終了する2008年末までは冷蔵庫にストックしていたコダクロームを使い今年からは富士フィルムの「プロビア400X」に切り替えました。このフィルムは2006年に新発売のフィルムでデジタル化の影響で各社が撤退、製品の絞り込みを行っているなかで登場し富士フィルムの姿勢が評価された製品です。色再現にも満足しています。
上野)富士フィルムは今年、中判フィルムカメラ「フジフィルムGF670」を新たに発売しています。6×6、6×7cm切り替え式のレンジファインダーカメラで中判カメラの携行性の問題を解決するために蛇腹折りたたみ式を採用しています。山岳・風景写真愛好家には大変な福音です。銀塩カメラは2004年以降、めだった新製品も無くデジタルカメラ一辺倒ですがカメラ分野でも「写真文化を守る」富士フィルムの姿勢は大変嬉しい限りですね。
この9月末で富士フィルムがポケットカメラ用の110サイズのフィルムの生産を終了しました。このフィルム規格はコダックが1972年に発表、キャノン、ミノルタ、ペンタックス等の各カメラメーカーが対応するカメラを発売しましたが、フィルムサイズが小さいことから写りの品質がいま一つで1980年には失速状態になり、元祖のコダックをはじめアグファ、フェラニア等のフィルム各社は市場から撤退しましたが、富士フィルムは「需要家がいる限り」と最後まで頑張りました。
私のペンタックスの110一眼レフを2台保有していますが富士フィルムの対応に大変助かりました。
尾崎)ところでハピコさん、歌になったフィルムがあることを知っていますか?
え~っ 誰が歌ったのですか?
ポールサイモン「僕のコダクローム」(1973年)
ポールサイモン最新CDアルバム「僕のコダクローム」収録
尾崎)コダックのコダクロームです。コダクロームは深みのある色彩とシャープネスで1960年頃から1975年頃まで一世を風靡しました。著名な写真家も多く、例えば浅井慎平さんも代表するコダクローム派でした。サイモン&ガーファンクル解散後の1973年にポールサイモンが「コダクローム」(邦題 僕のコダクローム)という曲を発表、全米ヒットチャート2位までヒットしました。
曲の中では「コダクローム、あの綺麗で鮮やかな色合い、夏の緑の鮮やかさ、まるで世界中に太陽が溢れているようだ。僕はニコンのカメラを持っていて写真を撮るのが好きなんだ。だからママ、僕のコダクロームを取り上げないで。」とコダクロームの特徴を正確に歌っています。
「お正月を写そう、フジカラーで写そう」のようなCMソングではありませんよ。
特に「So mama don't take my Kodachrome away だからママ、僕のコダクロームを取り上げないで」のフレーズがいいですね。
もっとも「40年も使った私のコダクロームは、コダックの事情によって昨年末に取り上げられましたが」
