上野&尾崎のカメラ散歩

 

銀塩写真の現像処理・暗室作業は究極の楽しさ

最初にハピコからの質問ですが、写真屋さんのことをDPE店と言いますがDPEってなんですか

大手カメラチェーンのDPE受付看板

大手カメラチェーンのDPE受付看板

ラッキー引伸機

ラッキー引伸機

上野)DPEは、現像(Development)焼付(Print)引き伸ばし(Enlargment)の頭文字です。デジカメ主流の現在では、もう死語になりましたかね。

尾崎)上野さんの引き伸ばしの思い出はいかがですか。

上野)高校時代からですね。高校に入学した時にとんでもない同級生と出会った事が写真を一層好きになるきっかけになりました。
高校入学時は学区が拡大され、その友人は隣町から通学していたのですが、中学時代に写真部に入っていて現像・引き伸ばし等の暗室作業の経験がありました。
しかし、その友人の自宅に暗室設備があるわけでなく、彼の家の近くの中学校の暗室を借りたんです。当時の学校には小遣いさんがいて、小遣いさんに断って夕方から暗室を使わせてもらいました。今では、想像できない事で当時はのんびりしていたんですね。
現像液、定着液は勿論自分で作って持参、終わったらポリタンクに入れて持ち帰りました。
中学校の暗室に設備されていた引き伸ばし機は、多分「ラッキー35」(藤本写真機工業)だったように思います。大変使いやすい引き伸ばし機でした。
モノクロネガをネガホルダーに入れて引き伸ばし機にセット、ネガのコントラストに見合った印画紙をイーゼルに入れて露光開始、露光後の印画紙を現像液に浸すと約20秒程度で画像が顕れ、濃度を増していく。約2分程度で現像反応が低下、印画紙を定着液に浸して未現像の感光層を溶解、水洗して印画紙に付着・浸透した定着液を洗い流して暗室作業が終了する。暗いネガは引き伸ばしレンズの絞りを絞って露光時間を長く、明るいネガはレンズの絞りを開けて露光時間を短く....そんな事を自然に理解していった。印画紙は仕上がりコントラスト「硬さ」の程度によって1~5号までの種類があり、中程度は3号、柔らかめは1~2号、硬めに仕上げたい時は4号以上を使いました。

引伸しプリント作業「モノクロ写真の現像とプリント」(日本カメラ社)

引伸しプリント作業「モノクロ写真の現像とプリント」(日本カメラ社)

フジブロマイド印画紙と三菱製紙月光印画紙

フジブロマイド印画紙と三菱製紙月光印画紙

水洗が終わった印画紙は、印画紙表面を光択仕上げの場合にはフェロ板という鏡面鉄板に印画紙を貼り、専用電熱器で加熱乾燥して、ざっと全作業が終わる具合です。
とにかく、引き伸ばし作業が面白くてしょうがない。時には自宅の自室を簡易暗室にした事もありました。雨戸を閉めてオレンジ色の安全光を付けて作業するのですが暑くてたまらない。今と違ってエアコンなんて無い時代でしたから。
友達数人と朝までワイワイガヤガヤ、徹夜になってしまった事もしばしばでした。
また、20℃の現像温度管理が難しく、夏は上がり過ぎ、冬は下がり過ぎで調整が本当に難しかった思い出があります。
印画紙は、富士フィルム、サクラ(小西六写真)月光(三菱製紙)等は高く、もっぱら使用したのはシーガル(オリエンタル写真工業)製品でした。
親しい写真屋さんから、期限切れのシーガルを格安で譲ってもらったりしていましたね。

尾崎)お座敷暗室も懐かしいですね。当時は現在のようにユニットバスの風呂場なんて存在せず、開放的な風呂場は暗室には不向きでした。したがって、座敷の畳の上にビニールを敷いたりした暗室をつくるわけですが、畳を汚さないような準備が大変でした。
また、上野さんのお話の通り家庭用エアコンは未だ黎明期も迎えてない状況でしたので皆さんパンツ姿でした。現像温度の20℃、適温管理など到底できる状況ではありませんでした。でもラッキーの中級製品、富士フィルムのベストセラー機・フジB型等が3万円以下で買える時代でしたので、お座敷暗室を経験された団塊世代以上の方は多いのではないでしょうか。

上野)私が結婚した当時、引き伸ばし機を始めとする暗室用品を新婚の借家に持ち込んで妻をびっくりさせた懐かしい思い出があります。写真は撮りましたが狭い借家だったために自宅暗室・お座敷暗室は無理になり、結局引き伸ばし機は物置に入れっぱなしとなり、その内に錆びが発生してスクラップになってしまいました。
今でも現役、堅牢な造りで定評があった富士フィルムのベストセラー機であるフジBでしたので惜しい事をしたと後悔しております。引き伸ばしレンズはフジノン50mm F4,5だったと思うのですが、安い製品でしたが「味」のあるものでした。

駿府城お堀の釣り風景=68年春

駿府城お堀の釣り風景=68年春

水量豊かな白糸の滝=67年

水量豊かな白糸の滝=67年

久能山の石段=68年

久能山の石段=68年

駿府公園・草野球=68年

駿府公園・草野球=68年

京都駅頭=68年春

京都駅頭=68年春

春うらら=67年春

春うらら=67年春


尾崎さんもおなじようにお座敷暗室だったのですか?

ラッキー90M引伸機

ラッキー90M引伸機

尾崎)私はベビーブーム・団塊世代で中学時代は一学年8クラス、高校進学時に学校が不足する大変な事態になり私の住んでいた東京都では急遽10校程度の高校を新設して対応しました。鉄道模型と写真に熱中していた私が入れる高校は、新設の高校程度しかなく、2月末に完成した新設学校に入学しました。新しい学校なのでクラブ活動等は当然無く、生徒が何人か集まってクラブを創り学校の承認を得るといった次第で、高度成長期に東京都がお金をかけて創った学校のため、立派な暗室があり、授業での使用目的もないようなので「写真部を創ろう」と何人かの仲間を集めました。学校に引き伸ばし機、暗室用品を一式買ってもらい始めた暗室作業が私の暗室経験の始まりです。引き伸ばし機は、偶然にも上野さんが使っていた機種と同一の「ラッキー35」でした。
写真大学の学生当時は、小遣い稼ぎのために大手写真チェーンの現像所でアルバイトをやりました。担当はフィルム自動現像機でのモノクロフィルム現像と引き伸ばし機での大サイズプリントが主な業務で、夕方4時から夜10時までの作業でした。勤務時間前には自分の作品をプリントでき作品づくりに随分便利でした。
現像以降の停止・定着・水洗処理は全て自動処理、乾燥フェロ仕上げも半自動処理のため、自宅のお座敷暗室の出番は完全に無くなりました。
大学が休みの時期には、昼間は新宿店での店頭接客、夕方からの暗室作業とかけもちとなり、当時人気のあったコニカC35・ジャーニーコニカやキャノネットを随分販売して社長さんに「商売センスあり」と見られ、「卒業後、うちに来ないか」と勧誘された思い出があります。
私の引き伸ばし機「ラッキー90M」は、知人に譲ってしまいましたが何と30年も販売されていたようで、つい最近販売終了になりました。またまた上野さんと一緒で引き伸ばし機を手放したことを「大いに悔やんでます」

貸暗室パンフレット

貸暗室パンフレット

上野)東京には貸し暗室があるようですね。

尾崎)デジタル化の影響でラボの品質が低下、プロの写真家やハイアマチュアの方が満足出来ず自分で納得できるプリントを仕上げるために貸し暗室を利用する傾向が増えているようです。

上野)ラボのベテラン技術者がいなくなり、経験的ノウハウが無くなったためでしょうね。

尾崎)貸し暗室は、カラー・モノクロ両方に対応していますが、モノクロの比率が高いようです。一般の方がモノクロ写真を撮る機会は無くなりましたが、作品制作を行っている方の間では、未だにモノクロ写真での作品発表が定着しています。
もちろん、デジカメ+カラープリンター・モノクロ出力で十分と考えられる作家もおられますが、微妙な調子再現性では銀塩写真の比ではないと判断される方が利用される訳です。
モノクロ暗室の設備は比較的簡単ですが、設備の整っている貸し暗室を利用するケースが多くなるのでしょうね。
私が知っている範囲では、全国に15か所程度の貸し暗室があります。利用料金は一時間モノクロが1000円程度、カラーが1200円~の料金設定のようです。残念ながら、やはり東京に集中しています。
東京駅に近い入船二丁目にある㈱ヒットオンという業界最古参の暗室レンタルサービスの林社長さんのお話を伺ったのですが、若い女性の利用者が増えてこれまでの主要利用者だった写真学生が減っているとの事でした。やはりモノクロプリントの比率が多く、同社では引き伸ばしを基礎から指導する初心者コースも開設しているのですが週5名程度の参加者があるとの事です。それも若い女性です。

(株)ヒットオン(東京・中央)の建物外観

(株)ヒットオン(東京・中央)の建物外観

ヒットオンの1階は写真展が出来るアートスペース「MOTOR」を開設

ヒットオンの1階は写真展が出来るアートスペース「MOTOR」を開設


DOPRINT(高田馬場)の作業スペース。右奥は自動現像機

DOPRINT(高田馬場)の作業スペース。右奥は自動現像機

尾崎)一方、高田馬場にあるDO!PRINTは、ネガカラ―からのプリント専門、現像は自動現像機のみと割り切ってますが、上野さんのおっしゃる通りでラボの仕上がりに満足しないプロ、ハイアマチュアの方々が利用しているようです。

上野)フィルムカメラへの若い女性の回帰、そして撮った写真は自分で現像処理、若い女性の追求心・パワーには感心しますね。能書きだけの熟年男は足元にも及びませんね。 ハピコさん。

いや~,上野さんと尾崎さんのパワーは若い女性に負けていませんよ!

上野)デジタル時代の暗室での引き伸ばし作業、オレンジ色の安全光のもとで自分が納得できるまで露光と現像処理のテクニックでプリントを仕上げる作業は「最高の贅沢」かも知れませんね。
ところでハピコさん。ブロマイドって知ってますか。

スターの写真のプロマイドのことですか?

フジ・ブロマイド人物用印画紙

フジ・ブロマイド人物用印画紙

上野)プロマイドではなく、ブロマイドですよ。
引き伸ばし用の印画紙に種類がある事は先ほど説明しましたが、人物用の印画紙・ブロマイド紙を語源にしているのでブロマイドです。
東京・浅草のマルベル堂が1921年にスター写真をプリントした印画紙の販売を開始、人物用のブロマイド紙を使用していることをもじって「プロマイド」と名付けました。
このブロマイド全体の売上が、スターの人気度のバロメーターとして定着、毎月の売上のベストテンまで発表するようになり2000年頃まで続いたようです。

尾崎)少し専門的に説明しますと、写真フィルム、印画紙に使う銀塩感光材料、正式にはハロゲン化銀には、塩化銀(AgCl)ヨウ化銀(AgI)臭化銀(AgBr)の3種類がありそれぞれ特性が異なり適当にブレンドして目的に応じた銀塩フィルム、印画紙を製造します。
臭化銀は感度が高い反面、コントラストが低く、印画紙の場合は、低コントラストが要求される人物用印画紙に多く使われたため、人物用印画紙を臭素・ブロムを語源としてブロマイド紙と呼ぶようになりました。
浅草・マルベニ堂は、こうした学術的背景を理解したうえであえて商品名を「プロマイド」と名付けましたが、広辞苑やNHK放送用語では、スター写真を正しい名称の「ブロマイド」と規定、「プロマイド」はあくまでも一商品名としています。

上野)ちなみに月間売上第一位獲得月数の最多記録は、男性は西城秀樹さんの46回、女性も岡崎友紀さんの46回だそうです。美空ひばりさんは1949~1950年、石原裕次郎さんは1951~1960年,松田聖子さんは1980年、安室奈美恵さんは1993年とそれぞれの時代の特徴が反映されてますね。

もし伊豆でハピコのブロマイドを発売したら、当然一番ですよね!! 上野さん。

左:小柳ルミ子さん・右:ピンクレディーさん

左:小柳ルミ子さん・右:ピンクレディーさん

左:布施明さん・右:吉永小百合さん

往年のブロマイド(マルベニ堂)
左:布施明さん・右:吉永小百合さん