伊豆観光ガイド

伊豆ガイド〜東伊豆編〜

伊東[いとう]

名物
干物
名所・史跡
伊東祐親居館跡、日蓮漂着の蓮慶寺、蓮着寺、鎌田城跡、洋式船建造地、木下杢太郎生家、東郷平八郎別邸、城ヶ崎海岸
簡単アクセス
熱海より
 伊東線宇佐美、伊東、伊豆急行南伊東、川奈、富戸、城ヶ崎海岸、伊豆高原
 国道135号

三島より
 新幹線・東海道線経由熱海回り―伊東線
 国道136号―熱函道路 熱海 国道135号
 国道136号―伊豆中央道―伊豆の国市三福―宇佐美大仁道路―宇佐美
 国道136号―伊豆中央道―修善寺道路―県道伊東修善寺線―伊東
歴史
伊豆の東という地名は平安時代末期、豪族宇佐美氏と伊東氏がこの地を支配した記録から始まる。伊東氏の総帥・伊東祐親(すけちか)は当時政権を支配した平家とつながりを深め、伊豆に流された源頼朝の監視役でも会った。頼朝と祐親の娘八重姫の悲恋は伊東の他、伊豆の国市にも伝わっている。祐親の嫡男河津三郎祐泰(すけやす)が、祐親と所領を争っていた従兄弟の工藤祐経に暗殺されたことで、日本3大仇討ちの1つ、曽我兄弟の物語につながる。鎌倉時代、幕府を批判し流刑とされた(法難)日蓮が伊東に漂着したという事跡が各所に伝わっている。その後も伊豆東海岸は小規模な豪族が割拠していたらしく、室町時代、北条早雲が伊豆支配に着手すると、鎌田城の攻防が記録に残っている。徳川家康のために、英国人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が洋式船を作ったのは伊東港の近くで、「唐人川」が残っている。江戸時代は韮山代官支配地になり熱海と同じく江戸城築城の石切り場として、また大名家の漁場として知られ、富戸に「ぼら納屋」が残っている。

明治以後は東京に近い別荘地として、軍人東郷平八郎、講談社の野間清治、医学者北里柴三郎らが疲れを癒した。湯川海岸に近い呉服や雑貨、書籍も扱った商家米惣の次男太田円三は関東大震災で壊滅した東京を復興させるため帝都復興院の土木局長として活躍、末子正雄は東北大、東大教授を歴任した医学者であり、文学者木下杢太郎としても知られる。伊東西小学校の校歌作者でもある。長兄太田賢治郎は県議、伊東市長を務め、弟の友人である北原白秋に伊東音頭の作詞を依頼するなど町の振興に尽くした。南伊豆出身の代議士・小泉三申の後援者として、機関紙「熱海新聞」同人でもあった。

1938年の伊東線開通で伊東温泉は観光地として開け、太平洋戦争中は疎開の受け入れ先にもなった。疎開者の一人・坂口安吾は「カンゾー先生」をはじめ伊東に取材した作品を残している。戦後、伊東の海岸は海水浴場に変わり、1961年に伊豆急行が開通すると、南部の山林が「伊豆高原」として急速に開発され一大リゾート地になった。